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2014.03.24 いい話
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ディズニーランド
秋もだいぶ深まってまいりました。ディズニーランドのスタッフの皆様、いつも私たちにステキな夢をありがとうございます。
今月、数年ぶりに主人とディズニーランドに遊びに行かせていただきました。実はこの日は、一年前に亡くなった私達の娘の誕生日、そして命日でした。
身体がとても弱かったために、生まれて間もなくこの世を去ってしまい主人と二人、ずいぶんと長い間、深い哀しみにおりました。
助けてあげられなかったこと、何一つ我が子にしてあげられなかったこといまでも悔やんで仕方ありません。

生まれてきたら、このディズニーランドに連れてきてあげたいという私たちの夢も果たすこともできず、主人と話し、この日、娘の供養のために来ることができました。
事前にガイドブックを見て、かわいいお子様ランチがあることを知り、娘に食べさせてあげたいと思いワールドバザールにあるイーストサイド・カフェに入りました。本当は8歳以下でないと注文することができないものでしたが、お店の方に事情を話すと、快く注文を聞いてくださいました。
そして隣の4人掛けのテーブルに子供用のイスまで用意してくださって、「3名様、こちらにどうぞ」と席を移してくださったのです。

「本日はよくきてくださいました。ご家族で楽しんでいってくださいね」と、まるで我が子がここに一緒にいるように私たちをもてなしてくださり、主人も私も感激で胸がいっぱいになり、涙があふれました。
娘を亡くしてからはじめて、「親子3人でいる」ということを味わわせてくださって、本当に感謝しております。
娘が生きていてくれたらどんなに幸せだったろうという思いでいっぱいです。

お店の方々にとても親切にしていただき、そしてかわいいお子様ランチも食べることができて
娘もさぞ喜んでいたと思います。思いもよらぬ皆様の温かなおもてなしのおかげで、とても良い想い出ができましたし娘のためにも、とてもよい供養ができたと思います。
親子3人で楽しいひとときを過ごさせていただきまして、本当にありがとうございました。あの時のお礼を言いたくて手紙を書かせていただきました。

娘は天国へ行ってしまったけれど、私たちのかけがえのない宝です。これからも愛し続け、一生ずっと一緒に生きて行こうと思います。
また娘を連れて遊びに行かせていただきます。ステキな夢を見れる日を楽しみにしています。

スタッフの皆様、日ごとに寒さが加わってまいりますので、お体を大切に、これからも私たちのために頑張って下さい

A君
小学生のとき、少し足し算、引き算の計算や、会話のテンポが少し遅いA君がいた。
でも、絵が上手な子だった。
彼は、よく空の絵を描いた。
抜けるような色遣いには、子供心に驚嘆した。

担任のN先生は算数の時間、解けないと分かっているのに答えをその子に聞く。
冷や汗をかきながら、指を使って、ええと・ええと・と答えを出そうとする姿を周りの子供は笑う。
N先生は答えが出るまで、しつこく何度も言わせた。
私はN先生が大嫌いだった。

クラスもいつしか代わり、私たちが小学6年生になる前、N先生は違う学校へ転任することになったので、
全校集会で先生のお別れ会をやることになった。
生徒代表でお別れの言葉を言う人が必要になった。
先生に一番世話をやかせたのだから、A君が言え、と言い出したお馬鹿さんがいた。
お別れ会で一人立たされて、どもる姿を期待したのだ。

私は、A君の言葉を忘れない。

「ぼくを、普通の子と一緒に勉強させてくれて、ありがとうございました」

A君の感謝の言葉は10分以上にも及ぶ。
水彩絵の具の色の使い方を教えてくれたこと。
放課後つきっきりでそろばんを勉強させてくれたこと。
その間、おしゃべりをする子供はいませんでした。
N先生がぶるぶる震えながら、嗚咽をくいしばる声が、体育館に響いただけでした

じぃちゃん
三年前死んだ祖父は末期になっても、一切治療を拒み医者や看護婦が顔を歪めるほどの苦痛に耐えながら死んだ。

体中癌が転移し、せめて痛みを和らげる治療(非延命)をと、息子(父)や娘たち(伯母)が懇願しても絶対に首を縦に振らなかった。葬式の後、親しかったご近所の将棋仲間が家族に宛てた祖父の手紙を渡してくれた。祖父が生前用意していた物だそうだ。

手紙の中には自分が家族を悲しませ、苦しませるのを承知で苦しみながら死んだ理由が書かれていた。

20年近く前、孫の一人が生存率20%を切る難病で闘病していたとき、祖父は神様に誓ったのだそうだ。

自分は今後どんな病気や怪我になろうとも、絶対に医者にもかからないし薬も飲まない。

だから孫を助けてくれと願を掛けたのだそうだ。

幸いその孫は無事手術も成功し、成長して成人もした。孫の成長を見届けること画できたのだからもう思い残すことはない。

あとは神様との約束を果たすだけだ。だから家族は悲しまないで欲しい。自分は満足して一生を終えるのだから。

そう綴られていた。

孫は当時一歳にもならない赤ん坊で、病気だったことも覚えていない。祖父は自分の決意を貫いて一生を終えた。

その孫である兄は葬儀でわんわん泣いていた。もちろん、兄弟もみな泣いた。

うまく書けないのが悔しいなあ。本当に祖父はすごい人だったんだよ。



ヤバイっす…
マンデーは自慰日と決めていたのに…カケないよ、これじゃぁ

お気に召したならして後方支援宜しく!
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